◆ 寺の歴史 
 光徳寺開祖釈祐玄師は、天正 (1573〜1592年) 年中、越中砺波郡水島村 (えっちゅうとなみぐんみずしまむら) (現在の富山県西部) より青海真砂に一旦 足をとどめ、門信徒を慕って、現在の大沢の地に移住しました。これが “青澤山光徳寺” の始まりです。
移住について、当時越中砺波近郊では、一向一揆が頻発しており、その混乱から逃げるように当地に来たと推測されています。また、移住前は本行寺という真言宗寺院で当地に移り浄土真宗に変わったといわれています。
◆ 境内
光徳寺 - 石垣
石垣/本堂
 境内は丘を切り崩した場所にあり、御本堂の下は岩盤と言われています。また、境内周囲は石垣となっています。わずか高さ 2m程の石垣ですが、ねずみ返しと呼ばれる反った作りには当時の技術水準の高さを感じずにはおれません。その石垣の上に根周り 4m のイチョウと、根回り2mの五葉松があります。その昔、まだイチョウが背丈ほどだったころ、寺を訪れた人が風雪で痛まないようにと自らの蓑を掛けて帰ったという言伝えがあります。おかげで毎年小粒ながらも多くの実をつけてくれます。鐘つき堂の鐘は、戦争で供出され、その後、昭和38年8月15日に改めて取付けられました。平和の鐘の音が鳴り響くことを願って“平和の鐘”と刻まれています。その願いは過去も未来も現在も変わらぬものです。
◆ 本堂  
 当初の御本堂は五間四面でありましたが、天保3年 (1832年) の発願で御本堂八間四面再建立に取りかかりました。然し建設には僅か60戸程度の門徒の労力は申すに及びません。それでも用材の寄進やら財施を惜しむことなく、12ケ年もの長い間黙々と奉仕下さり当寺9代観亮の天保14年 (1843年) 4月14日上棟式が挙げられました。後門柱は本寺南大門よりと真砂角十良よりの寄附と記されており、御本堂正面の梁にも寄進された方の名が読み取れます。
7枚の欄間には、楽を奏でる天人が、縁側には川を上る鯉が彫刻されています。
天保年間中の本堂再建立は、後世までも伝えられている大洪水・大飢饉に会いながらも、それらに屈せず施行されました。門信徒の方々の御苦労が目に浮かびます。この強い信念・信心の力によって現在の御本堂が建立されています。
光徳寺 - 天人 光徳寺 - 鯉の彫刻
天 人 鯉の彫刻



↑PageTop